SIMPLE LIFE OF BUNKEI

文系大学院女子による、創造的で新しい生活様式。

光と闇を受け入れてこよなく愛する=研究!☆

光があって闇がある。

 

最近の私のテーマです。

 

人生もそう。研究もそう。

 

 

「辛い時を乗り越えればいま幸せになれる」

 

なんて、

 

本当に辛い時にはそんなものは信じられないのです。

 

自分の心が締め付けられるような事実を突きつけられたとき、

 

つらいものはつらいのです。

 

人生のすべてのヴェールが閉ざされたような気分になる。

 

自分がいま、息をしようが歩いてみようが

 

この決定された苦しい現実は変わらないと思ってしまう。

 

自分のやることなすことは全てなしのつぶてなのだと無力感を感じる。

 

それが絶望というものなのかもしれません。

 

 

 

 

わたしには

良い研究をつくるという点ではかなりストイックでした。

 

すごく一生懸命になって成果を上げようとして、

 

研究留学に行って、現地の子をつかまえてはインタビューをしたり、

 

その結果を先生に報告したり。

 

あるときは、修士1年生の春学期なのに

 

「先行研究では述べられていない研究をしなさい!」

 

と言われ、

 

やったことのない実験と研究論文を英語5000字で書いてみたり。

 

でも、「修士で新卒として就活するんだから、

 

もうまわりの同期は働いているんだから、

 

わたしは死んでも研究成果を上げよう」

 

と思って必死になっていました。

 

わたしは知識を覚えるのは苦手なのですが、考えを構築することだけは得意なのです。

 

 

 

 

ちなみに、「いいところにちゃんと就職したい」という気持ちがあって

 

修士1年生の夏から6か月間、こつこつと英語の勉強もしていました。

 

2020年1月の時点でTOEICもかなりいい点数を記録し、

 

「スペックの見栄えは準備ばんたん!」

 

とおもっていました。

 

 

 

 

最後に自分に大きな幸福が来たのは、さきほどの先生が直接私を指名して

 

「もうすこし君の研究を知りたいので、研究会を一緒に開きませんか」

 

と言ってくださったことです。

 

天にも昇る気持ちでした。

 

私は文系ということもあり、学術論文をすぐに書き上げることはできませんでした。

 

(私の肌感覚では、文系は理系より論文になるトピックを論文としてまとめるのに手間がかかります。)

 

 

ですが、「先生に注目された」ということは、

 

学会への論文提出と似たような意味を持つのではないか?

 

とおもっていました。

 

 

たとえ自分の研究が公で認められていなくても、

 

修士としての自分が、社会で認められていると証明できるのではないか?

 

 

 

これは、就職活動に有利に働くのではないか?

 

 

と、おもっていました。

 

 

 

自分の研究動機はなんでもかんでも就活おめあてですね。笑笑

 

 

 

 

 

ですが、結果は第一志望の会社に不合格。

 

 

 

結局、いちばんはじめに難なく合格した小さな会社に就職が決まったのです。

 

 

 

泣き崩れて3か月間は何もできない状態でした。

 

 

 

 

と同時に「自分はクズなんだ」とずっとおもっていました。

 

 

 

あのときの努力なんてやらなきゃよかった!

 

とすらおもいました。

 

 

あのとき一切の努力をしていなかったらいまごろもっと良い論文を書いていたかもしれない。

 

そしたら学会に行けたかもしれない。

 

 

なにやってるんだろ、自分。

 

とおもいました。

 

 

 

 

ですが、いま現在の私は

 

あのときの私よりもずっといいコンディションで論文に向き合えています。

 

「自分はこうでなきゃダメだ!!」と思っていたあの時より

 

ずっと客観的に、ずっと創造的にものごとに目を向けられています。

 

 

 

不思議ですね♪

 

 

 

いまこうしてよりひらけた思考になれたのは

 

光 と 闇、どちらも比べられているからです。

 

 

 

 

どうしたらより効率的に論文を書けるのか?

 

 

どうしたらみんなに読んでもらえる、共感を貰える論文になるだろうか?

 

という意識を用いるのは光の意識とします。

 

 

 

 

 

自分の経験で知覚・感覚したことから、もっともよい方法を考える。

 

必要なことですよね。

 

 

 

 

ですが、光の状況だけでは自分の想像力に限界が来ます。

 

 

 

 

光しか知らない、成功しか知らない人は

 

 

かつてのわたしのように(私は決して成功人間ではありませんよ)、

 

 

 

 

「こうすれば社会で認められる」ということを盲目的に信じて疑わず、

 

自分の姿を批判的に見ることができなくなるのです。

 

 

一定の成功を手に入れたことをすぐ鼻にかけ、あぐらをかき、

 

失敗を恐れる人間になるのです。

 

 

いつも無難でいようと思うようになるのです。

 

 

想像力が枯渇するのです。

 

 

これが、研究の恐ろしいところです。

 

 

だから、必ず「研究で何を失敗したのか」「人生で何を失敗したのか」

 

を心に留めなくてはなりません。

 

 

わたしはそうおもいます。

 

 

光だけしか見えないと、本質を見るのにピントが合わなくなってしまいます。

 

 

 

 

ですが、闇が見えると、なにが光なのかわかるようになります。

 

 

 

 

いまの私は、「なんでもいいから人様に貢献したい」

 

 

という気持ちでいます。

 

 

 

収入も上げられる人間になりたい、研究力のある人間になりたい。

 

 

社会で、自分の力で美しく生きていく人間になりたい。

 

 

そのために、いまは研究に専念しておこう。

 

 

 

もう学会に発表するほど余裕がなくなった今、

 

自分を無理に成果に向けようと追い立てなくていい。

 

 

 

ただ、さいごにいまの自分をきちんと世間に発信しておこう。

 

 

 

 

そうおもったのです。

 

 

 

そして、それをするからこそ、熱を出し惜しみすることなく

 

 

 

 

きちんと研究に向き合えるとおもうのです。

 

 

 

闇がないと、本当の光はなにかが区別されないのです。

 

 

 

研究への姿勢の第一歩ではないでしょうか?

 

 

 

 

 

(※TOEICの点数は880点でした!

ですが知識系×なわたしでも、目的意識と教材選びと勉強時間を確保して

取れた点数だから、みなさんとれますよ!

こんど紹介しますね♪)